Rider’s Identity 2019  -大古場夕海-

4才で始めたスノーボードが、
喜びも、苦労も、工夫も、そして楽しさを教えてくれた
そしてこれからも

初めまして 大古場夕海です。
今年の春、高校を卒業し社会人になりました。
4歳の時、父にダイナランドに連れてきてもらったのがきっかけで15年もスノーボードをしています。ここでイチから教えてもらったスノーボードスクールがとても楽しく、気が付くと、週末はスキー場へ行くのが当たり前の生活になっていました。
これは現在も進行形です(笑)

小学生になると、冬合宿・春合宿・ニュージーランド合宿にも参加し、礼儀を学び、目標を立てるようになりました。
まずは身近なバッジテストから。友達が合格していく中、何度も落ちて本当に悔しかったです。やっと5回目で合格できました。

その後は、いろいろチャレンジしたくて、アルペンでレースに出たり、テクニカルで全日本に出てみたいという目標が出来たり、ハーフパイプで地区大会に出てみたいと思ったり・・・。
とにかく興味を持ったことには何でもやってみました。ずっとフリースタイルだったので、アルペンをニュージーランドで杉本さんに直接教わった時は、褒めてもらえて嬉しかったのを覚えています。今思えばなんて豪華なレッスンだったんでしょうか!

この頃の思い出は、大腿骨骨折で四ヶ月も入院しなきゃいけなっかったことです。(そのうち1ヶ月半はずっと寝たきり)福井県でケガをし、そのまま福井県で入院となりました。ずっと泊まり込みで付き添ってくれた母と過ごす毎日は楽しかったし、スクールの先生や友達がお見舞いに来てくれてとても嬉しかったことを忘れません。冬にはまたみんなと滑りたくて、リハビリに励んでいたなぁと懐かしく思います。

中学生になり、本格的に山梨県のカムイみさかでオフトレーニングも始め、中学3年生の時ハーフパイプでプロになりましたが、結果がすべてだと、結果を出さなければプロじゃないと、ものすごく気負ってしまう自分がいました。あんなに憧れたプロの世界は想像以上に辛くて、パイプを前に何も出来ない自分が恥ずかしく、そして悔しかったです。
何のためにスノーボードやってるんだろう、と思っていました。でも『やめたい・・・』とは思わなかったです。結果が出せない中でも両親は、『続けていくことに意味がある』と何度も言ってくれました。必ず自分の力になっているんだと信じてチャレンジしていきました。とにかくやってみる事、向いているのか向いていないのかやってみなければ分かりませんし、もし自分の中で『違うな・・』と感じたら、その時は違うことにチャレンジしてみても良いんだと思うようになりました。

高校生になり、週3日ペースでアルバイトをはじめました。
今まで両親にはたくさんお金をかけてスノーボードをさせてもらえたので、少しでも自分で道具を買って、負担を減らしたかったからです。
飲食店のため、接客を通じてのコミュニケーションも学びつつ、お客さんに名前を覚えてもらい『本当にいつも良い笑顔だね』と褒めて頂けたことは自分の自信にもつながりました。
学校とアルバイト、そして週末の練習と一週間を慌ただしく過ごした3年間。
夕方からのアルバイトは忙しい時間帯だったので、いかに効率よくお客様に商品を提供できるのか考えるようになりました。この考えるということは、高校生時代のスノーボードに大きく関わり、限られた練習でいかに無駄な時間を少なくし、集中できるかがとても大切だと気が付くことができました。そして焦って練習するより、頭も使い質をあげていかなければ意味がないと思うようになりました。
例えば荒れたバーンをよく滑り、色んな状況でも素直に対応できるようにした結果、バンクドスラロームの大会で優勝できアメリカでの大会出場権をもらえたのはうれしかったです。
こんな感じで15年、学生ということを優先しながらスノーボードを続けてこれました。
辛くても、イライラしても、それでも結局続けてこれたのは純粋にスノーボードが大好きだから。それと、いつも心の支えになってくれた両親や15年間の中で出会うことのできたたくさんの仲間や先輩方に恵まれたからだと思います。

19歳、社会人になっても私はスノーボード続けていきますよ!
もっと進化していくために、今も週末はカムイみさかでオフトレしています。
来シーズン、大きなチャレンジが待っているので待ち遠しくてしかたない気持ち。
『早く雪降らないかなー』と冬の便りを待ちわびている毎日です。

大古場夕海