SG SNOWBOARDS
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Rider's identity 5 -戸田大也-
Rider's identity 4 -杉本孝次-
Rider's identity 4 -西原秀彰-
Rider's identity 4 -後藤克仁-
Rider's identity 4 -片山雅登-
Rider's identity 4 -木村佳子-
Rider's identity 4 -大森厚毅-
Rider's identity 4 -小北聖子-
Rider's identity 4 -高橋恭平-
Rider's identity 4 -斯波正樹-
Rider's identity 4 -工藤英昭-
Rider's identity 4 -吉岡健太郎-
Rider's identity 4 -勇上華子-
Rider's identity 4 -宮尾貴明-
Rider's identity 4 -清水寛之-
Rider's identity 4 -秋山 浩範-
Rider's identity 4 -戸田大也-
Rider's identity 4 -鈴木湧也-
Rider's identity 3 -杉本孝次-
Rider's identity 3 -西原秀彰-
Rider's identity 3 -小北聖子-
Rider's identity 3 -高橋恭平-
Rider's identity 3 -大森厚毅-
Rider's identity 3 -後藤克仁-
Rider's identity 3 -木村桂子-
Rider's identity 3 -片山雅登-
Rider's identity 3 -勇上華子-
Rider's identity 3 -斯波正樹-
Rider's identity 3 -吉岡健太郎-
Rider's identity 3 -工藤英昭-
Rider's identity 2 -杉本孝次-
Rider's identity 2 -西原秀彰-
Rider's identity 2 -工藤英昭-
Rider's identity 2 -木村桂子-
Rider's identity 2 -勇上華子-
Rider's identity 2 -佐藤圭-
Rider's identity 2 -後藤克仁-
Rider's identity 2 -小北聖子-
Rider's identity 2 -片山雅登-
Rider's identity 2 -大森厚毅-
Rider's identity 2 -白川尊則-
Rider's identity2
-北海道〜東京縦断プロジェクト-
斯波正樹と吉岡健太郎に聞きたい
11の質問
Rider's identity -杉本孝次-
Rider's identity -西原秀彰-
Rider's identity -木村桂子-
Rider's identity -工藤英昭-
Rider's identity -勇上華子-
Rider's identity -佐藤圭-
斯波正樹+吉岡健太郎
北海道〜東京ロードバイク縦断
Rider's identity -斯波正樹-
Rider's identity -後藤克仁-
Rider's identity -小北聖子-
Rider's identity -片山雅登-
Rider's identity -吉岡健太郎-
Rider's identity -大森厚毅-
Rider's identity -白川尊則-
白川尊則のイメージ
スノーボーディング vol.3
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ご愛用いただくために
白川尊則のイメージ
スノーボーディング vol.2
白川尊則のイメージ
スノーボーディング vol.1
2013 models Impression
吉岡健太郎インタビュー
けんちゃんが世界を行く!
2012 Models ライダークロストーク
SG Plate System 使用レポート
EU漫遊記 Vol.4
EU漫遊記 Vol.3
EU漫遊記 Vol.2
EU漫遊記 Vol.1
FULL RACE? それともFULL CARVE



後藤 克仁(ごっち)はスノーボードキャリアの中で、
大きな怪我を2度経験しています
それは、足の骨折
1度のみならず、2度の骨折とかなりの不運にあっていますが、
実はこの骨折が、ごっちに大切なことを気づかせてくれる機会となっています
大けがを乗り越え、ごっちがスノーボードから学んだこととは?

words by Katsuhito Goto




まず初めての骨折はニュージーランド遠征4回目、2001年夏の7月7日。まさにスノーボードにのめり込んでいる真っ只中、全日本選手権やプロ戦などに出始めた頃で、プロへの意識が明確になり始めた頃の事でした。
この時の骨折は、まさに痛み全開、不安いっぱいでなにがどうなるのかも分からない状態でした。
ニュージーランドでの入院、手術は英語が話せない自分にとってはどうしようも出来ないが、現地でお世話になった杉本孝次夫妻、また当時スキー場で仕事をされていた伊藤さんが何よりも心強かった事を今でも忘れません。海外での入院、手術というあまり経験できない事をしたのはいいのですが、何とも孤独を感じた時でもありました。2日に1度は来てくれる仲間のお見舞いが唯一の救いでもありました。
病院での入院は1週間。その後、足の腫れもありすぐに帰国という訳には行かず、メスベンの宿舎で2週間ほど足の腫れが引くのを待って帰国しました。
帰りの飛行機では唯一、怪我の特権で座席がビジネスクラスでしたが、気圧の加減で足の痛みはピークに達して全然ゆっくりなんて出来ません。そして食べ物、飲み物も手つかずだった事を覚えています。
日本に帰って、「さて、これからどうしよう?」が、まず頭に浮かびました。
夏のトレーニングのつもりで行ったニュージーランド。その後は冬に岐阜県のダイナランドでインストラクターをしながらレース転戦を目指していただけに、目標が一気になくなってしまいました。そして、この足は本当に回復するのかという不安が大いにありました。
とりあえず、まずは入院しながらのリハビリを行いましたが、担当の先生は日常生活は出来るけど、スノーボードは難しいとまで言われていました。ですが、入院生活の中で自分の取り組んで来た事へのあきらめがつくわけでもなく、少しでも可能性があるならばと考えはじめました。そう、まさに自分の中の分岐点です。自分は何の為にスノーボードでプロを目指そうと思ったのかを再確認する事ができたんです。
人生の中で、一生懸命に取り組む事が出来なかった自分に、一生懸命という事を教えてくれたのも実はスノーボードなんです。やりたい事に集中する事が自分の中では味わった事がなく、そして何よりも一緒に頑張ろうとする仲間がいた事、周りの応援が何とも心地よい感じだった。自分の可能性を広げてくれたこのスノーボードを諦めたくないと強く思ったところで、新たな一歩を踏み出す事ができたのです。そこで、「地域の病院ではなく、スポーツ専門の病院にいこう」と考え、愛知県の阿久比町にある「スポーツ医・科学研究所 」という病院へと転院する事にし、リハビリ入院をしました。

しかし、回りの患者さんは見るからに自分とは雰囲気が違う感じ。そう、みんな実業団のバレーやバスケの選手、そしてトヨタのラクビーの選手からいろんな競技の日本代表の選手がリハビリをしていました。
目の前での光景は、とてもリハビリ治療をしていると言うよりも、まさにトレーニングをしているという光景でした。そんな中に入っての、リハビリ治療でしたが動けない自分に課せられたリハビリメニューは、「腹筋100回×5セット」いきなり500回でした。動けないからこそ、出来るメニューと言う事でしたが、もがき苦しみながらのメニューだった事は言うまでもありません。しかし、この腹筋がのちのち大きな効果となる事はその時はまだ知りませんでした。実はこれが自分のバランス力を大幅にアップさせていました。はじめは500回から徐々に回数は増え1000回の大台乗ったのは一ヶ月後の事でした。
トレーニング環境はとても大事です。スポーツ病院に行った事により他種目の選手達との交流から、みんながどんな思いでやっているのかなどの話や、怪我からの復帰をする為に一生懸命取り組んでいる事がみんなで共感できました。ここに集まっているメンバーはまさに自分の思いと一緒。怪我を克服して復帰する事を、この病院にくる前よりもさらに自分のやるべき事が明確に出来た時間でした。
リハビリ入院も先生の配慮で3ヶ月も滞在する事ができ、その頃には足のリハビリというよりも、足を補う大きな武器が備わっていました。
退院後の冬は、ダイナランドのスクールで業務担当として勤務させてもらいました。ゲレンデの近い所に身を置ける事は、自分にとってやる気を維持できる場所でもあり、同じ仲間やライバルの刺激をうける絶好の場所でした。その場にいたからこそ、1月にはゲレンデにスノーボードを履いて立つ事が出来たように思います。

冬が過ぎ、怪我から1年がたとうとする時、なんと自分はまたニュージーランドに旅立っていました。もちろん、しっかりとした雪上でのトレーニングを目的としてです。

1年間のリハビリの成果がでたのは、実はこのニュージーランドです。それと同時に自分の滑りが大きく変化した夏となりました。腹筋1000回で鍛えられた体幹は、何よりも体の軸を整えてくれました。
足の痛みを見ながら、雪上にでる時間をしっかり決めて、無理に滑らない、休息とオフトレを繰り返し、メリハリをつける事で、しっかりとスイッチを入れるようにしました。
現在も、僕のことを知る人はあまり滑らないという言う印象をもっておられる方も多いですが、実はこのときの自分自身のスイッチが今も継続されて、さらには精度を高めている所です。
「滑走時間」より「滑走内容」。
どれだけ、内容を濃く滑る事が出来るか。自分の滑りをよりリアルにイメージし、それを実際に見る。頭で考える事と、実際の滑りでの違いを正確にとらえる事が自分の考えからその先にあるイメージをさらに膨らまし、理想のスタイルに近づく事ができました。

そして、その冬。自分の思いが一つずつ前進していくシーズンとなったのです。
東海地区大会GS、SLへのエントリーと同時に本当にこの足で大丈夫なのか?

(→右へ)
1シーズン以上も大会へも出場していない不安感や緊張感、そして足の痛み。リスクばかりある中、スクールの先輩の一言で、「まずはテク選に出て足の調子をみてはどう?」、そんなきっかけで出場した大会でまさかの「優勝」。意識は足の痛みしか考えていなかった事が功を奏したようで、自分の滑りが出来た事がまさか優勝するとは・・・。自分でもびっくりな結果となり、それが自分自身滑れるという大きな自信に繋がったのは言うまでもありません。
その後の、東海大会SLでは2位という結果。そして、全日本では6位入賞という成果。
さらには、ポイントランキングにてプロ資格獲得とまでいきました。このシーズンでの大きな分岐点はまさに、無欲の優勝からでした。

人間誰でも、努力をした分だけ結果を望みます。ですが、その中には、不安との葛藤(ネガティブなイメージ)が付いて回ります。私もそうだったのですが、意識を違うところにそらした事が私の中でのメンタルコントロールでした。
「あくまでも結果論です」、ですが、その努力を純粋に試す機会を作る事で、冷静に物事を判断する事が出来るようになれば自分の力も出ると言う事です。
1回目の怪我により、信念を貫き通す事、努力を惜しまない事、そして自分自身のメンタルコントロール方法を学びました。


1回目の怪我から、5年がたち自分の立場も大きく変化していました。プロスノーボーダーとして、そしてデモンストレーターとして、スクールの現場責任者として、さらには家族も増えた事は大きく変化したところです。

事故は突然やってきました。
2007年2月22日2回目の骨折です。今回は、自分が招いた訳では無かったのですが、またしても左足。それも粉砕骨折です。初診の先生には、回復は難しいと言われましたが、別の担当してくださった先生が、とても理解力がある先生で選手での現役復帰を第一に考えて、オペからリハビリまでを行ってくれました。

ここが、ニュージーランドと違ったところ。自分の考えのもと先生と相談できたりする事は、怪我での不安感から少し安心感に変わった所です。
リハビリは、今回も「スポーツ医・科学研究所」でお願いをして、改めて肉体改造も行いました。今回は、前回の怪我のように、「さて、これからどうしよー?」なんていっている暇はありません。
自分自身の責任感が、怪我をしてしまった事での精神的な不安要素を大きく取り除いてくれました。
一つは仕事での責任。
現場責任者としてお客様へ、そしてスクールの仲間へは迷惑をかけれないと思った事です。1回目の怪我とは比べ物にならないぐらい仲間がいて、それが自分の背中を押していた事は間違いありません。
怪我してしまった事はしょうがないので、その分みんなの為に出来る事は何かを考えていました。お客様にとって何が出来るか?、スタッフにとって、自分ができる事は何か?、ここでも、仕事の時間、リハビリの時間としっかりとコントロールする事がとてもポジティブに物事に取り組めた要因です。
そして、もう一つの家族への責任です。
自分が守るべきところがある事が、やはり気力を生みます。
何事にも前向きに一生懸命取り組めば先に進める。
1回目の怪我では、自分の事が優先で考え、2回目の怪我は、周りの事を優先で考えていました。
2回の怪我で自分の考え方の変化に改めて築き、さらにはそこから見える自分が今後どのように取り組むべきかを見つめ直す機会でした。そんな中、正直自分の中では現役復帰は難しいだろう、と思っていた所は、心のどこかにありました。
一番調子の良かった30歳の時での怪我は、選手としては一番おいしい時期を逃してしまったからです(この時点で自分の事に対してはネガティブなんです)。
ですが、復帰をするために決意をした大きな出来事がありました。
それが、仲間でした。回りの仲間がこんな自分の復活を期待をしてくれている。そして、日々の業務で忙しい中、練習時間を作ってくれたりと。そんな仲間達の思いに、改めてデモンストレーターの現役復帰を目指しました。
回りからの声援で、自分がこんなにも強くなれる事を改めて実感した時でした。
そして、現役復帰を宣言したその年、全日本テクニカル選手権5位でデモンストレーターに返り咲いたのはまだ3年前の事です。
2回目の怪我により私は、自分の責任と共に、家族や仲間が与えてくれる大きなものを実感する事ができました。


文頭でもありましたが、私自身この怪我という出来事が、スノーボード人生の中での大きなきっかけとなっています。。
人間誰しも、怪我はしない方がいいけど、怪我をしてしまった人はある意味ラッキーなのかも知れません。今では僕はそう思う用にしています。
それは、誰も経験出来ない感情を味わう事ができ、ここに述べたようなことに気づく機会を得ることができたから。
人間の成長は、いろんな感情の変化から大きく変わっていくものであるだろうし、その感情が一つのきっかけとなって人生の分岐点になるかもしれません。
私自身は、まさにそれが大きな分岐点となってきましたが、そこには周りの環境、人、物、時代が関係していたからだと思います。
プロになって9年。実は今年が自分での新たな分岐点。
プロ登録を抹消し、次なる活動へと繋げていけたらと思っています(デモは続けますよ)。
この業界に入って17年。まだまだこれからと言うところですが、「お客様への責任」、「地域への責任」、「文化への責任」を果たして行くべく、一人のスノーボーダーとして、多くの仲間と共に責任を積み上げていきたいと思っています。以上、ごっちの怪我から学んだ事でした!

後藤克仁

copyright